雨上がりの路地は、街灯の光を受けて鈍く光っていた。私は古びたノートパソコンを抱え、深夜の喫茶店の隅で、ただひたすら「投稿テスト」という無機質な文字列を画面に打ち込んでいた。

新しいブログを立ち上げたばかりで、ちゃんと記事が公開されるのか、表示は崩れないか、通知は飛ぶのか。確かめるべきことは山ほどあった。けれど何度試しても、画面の向こうに広がる世界は妙に静かで、まるで誰にも届いていないような心細さが胸に残った。

「そんな顔をしていると、化かされるよ」

不意に声がして顔を上げると、喫茶店の窓の外に、一匹の狸が立っていた。いや、立っていたというより、まるで昔からそこにいたかのように自然に、二本足で傘も差さずこちらを見ていたのだ。

私は目をこすった。疲れているのだと思った。しかし狸は気にした様子もなく、少し首をかしげて言った。

「投稿テストばかりしている人間は、たいてい大事なことを見落としている」

喫茶店を出ると、狸はのそのそと歩き出し、私もなぜだかその後を追っていた。雨の匂いが残る夜道を進みながら、狸は尻尾を揺らして続けた。

「お前さん、投稿ができるかどうかばかり気にしているだろう。でもな、文章ってのは、表示された瞬間に生まれるんじゃない。誰かに届いたとき、ようやく息をするんだ」

「でも、テストしないと始まらないでしょう」

私が言うと、狸は振り返って笑った。狸が笑ったように見えた、というほうが正確かもしれない。

「そうだとも。けれど、テストの記事にだって心は宿る。たとえ『これはテストです』の一文でも、書いた人間の不安や期待がにじむものさ」

やがて狸は、小さな神社の前で足を止めた。赤い鳥居の下には雨粒がまだ残り、月明かりを受けて淡く光っている。狸は賽銭箱の脇にひらりと飛び乗り、こちらを見た。

「試しに書いてみな。投稿テストのことを、投稿テストらしくない形で」

私はパソコンを開いた。白い画面が、今度は冷たく見えなかった。指先を置くと、言葉が少しずつ流れ出した。

『これは投稿テストの記事です。けれど本当は、誰かに届く最初の手紙かもしれません。うまく表示されるか、ちゃんと公開されるか、不安を抱えたまま送る、小さな小さな便りです。』

書き終えて顔を上げると、狸は満足そうにうなずいた。

「ほらな。ただのテストじゃなくなった」

「あなたはいったい何者なんです?」

そう尋ねると、狸は鳥居の向こうに目をやった。

「夜の投稿を見守る者、とでも言っておこうか。昔から、人間は新しいことを始める前に、何度も試して、何度も怖がる。そのたびに、誰かが背中を押してやらにゃならん」

風が吹いた。木々が揺れ、葉の隙間から月がのぞく。ほんの一瞬、狸の姿がにじんで見えた。

「次に投稿するときは、テストでも本番でも、少しだけ胸を張るといい。書いた言葉は、お前さんが思うより遠くまで歩いていくから」

その言葉を最後に、狸はすっと闇に溶けた。あとには濡れた石畳と、静かな春の夜だけが残っていた。

喫茶店に戻った私は、改めて公開ボタンを押した。画面には確かに記事が表示されている。タイトルも、本文も、崩れずにちゃんと並んでいた。

それはただの投稿テストだったのかもしれない。けれどあの夜から私は、テストという言葉の向こう側に、小さな物語が潜んでいる気がしてならない。

もし新しい記事を公開するたび、どこかであの狸が見ているのだとしたら――少しくらいは、気の利いた一文を書かなければと思うのである。